意外!と思える歴史発見!発展していく長津田が現在に至るまで

横浜市緑区の長津田地区。自然が多く、景勝地として見どころとして選ばれた「長津田十景」は多くの人に知られていますが、その昔、旧大山街道の宿場町として栄えていたこともある歴史的財産に富んだ街でもあります。そのような長津田の歴史について、少しご紹介します。

崖からは縄文時代の貝の化石が発見されている

現在の谷戸は多昔海だった場所です。そのため、台地の南側斜面などでは縄文土器の破片などが発見されています。

江戸時代には矢倉沢往還の宿として、大山参りに行く人や、裏街道の大山道を進む武士たちでにぎわっていたと言われており、戦国末期から明治までは旗本岡野の殿様が知行した場所です。

明治になると鉄道ができて、宿は衰微していったものの、養蚕業で発展しました。大正以降は東京や横浜に野菜を供給するため、野菜の栽培が盛んに行われる様になりました。

田園都市線沿いの中では急成長した街

戦時中、長津田駅から現在のこどもの国がある場所に引き込み線が作られ、以前は駅周辺に関連工場もありました。昭和40年くらいから街つくりが進んで行ったわけですが、東急電鉄や県住宅供給公社の宅地、住宅団地の造成で、田園都市線沿いの中では最も早く成長した街だと言われています。

高い電波塔が建てられていた!

また、あまり知られていない歴史ですが、かつては無線を送受信する電波塔という施設がありました。

この電波塔は、当初は軍事用として、後には電話通信用として作られたもので、昭和19~31年まで使用されていました。

軍事を目的として使われていた時には、八丈島から敵軍情報など無線電波をキャッチして、東京に電波を送り、NHKが発信する空襲警報などに利用されていたようです。

戦後は電話通信用として使われていましたが、パラボラアンテナが登場したことで使われなくなりました。全国を通信で結ぶ大変重要な役割を果たしていたようです。

今後の長津田の発展はさらに期待できる!

長津田駅は、JR横浜線、東急田園都市線、こどもの国線の乗換駅として、毎日多くの人たちに利用されている駅であり、横浜市北部の主要な交通結節点と言えます。

その主要な交通結節点であるのに対し、駅前広場や道路など、公共施設は十分に整備されていない状態で市街地が形成されていることから、防災や交通安全という部分では色々な問題が起きていました。

しかし、現在までの歴史を受継いで、電車や車のアクセスが良い街へと変貌を遂げています。長津田駅南口の再開発の計画など、今後も長津田の街が発展していくことに期待が持てると言えるでしょう。